日々の泡

東京の下町に住む会社員のブログ。家族とかクルマとか色々。

W123と僕 後編

W123は、僕に車の「いろは」を教えてくれた。
大きなトラブルは無かったけれど、ちょっとした箇所を直したり、消耗品を替えたりした。

手を入れる度に、まるで別の車に生まれ変わったようにシャキッとした。細々した問題はあったけど、一つ一つが車の基本みたいなことで、定期交換やメンテが必要な消耗品や機関について知る良い機会だった。できる限り自分でやったのも良かった。
今思えば本当にトラブルとは無縁な車だった。

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*ちょっと前のめり

 

当時は他の車に乗ったことがなかったので、今になってその良さを実感することが多い。

例えば、ボディ。頑丈な二層の殻に守られている感じで、急ブレーキを踏むとボディが止まり、後からシートがついてくる感じ。
80キロ巡航の時が最も気持ちよくて、まさにクルージングしているようだった。

乗り心地は硬くもなく柔らかくも無く、絨毯の上を走っているような、不思議な感覚だった。


決して運転していて興奮するような車ではなかったので、眠くなることも多かった。

そんな時は、サンルーフ(がついていた)を開けて昼寝をしたりした。天気が良い日は本当に気持ちが良かった。


スペースも広く使え、後部座席は快適だったはず。
両側とも、パワーウィンドウが壊れていたので閉めきり窓だったけど。

本当に良いところばかりだったのだけど、唯一の難点が燃費。

5キロ/Lだった。
毎月1000キロ走る僕にとって、この燃費はかなりきつかった。
燃費のことを言うのはヤボな話かもしれないけど、僕にとっては切実な問題だった。
結婚、引越しと、環境が変わっていく中、W123の存在がちょっと重く感じ始めていた。

僕がちょっとした岐路に立っていて、何かと大変だった時期に寄り添っていてくれた車だったのだけど、物事が明るい方向へ向かい出した途端、この車がズシっとのしかかる感じがした。いつまでもこれに執着することの重みというか。

今思えば、とても身勝手な心変わりだったと思う。
「分身のようにかわいがっていた」と言われた車を、僕は手放してしまった。f:id:jamboree18:20180828130225j:plain